歯科NEWS

2011.04.25更新

障害者専門の歯科診療施設「京都歯科サービスセンター中央診療所」(京都市中京区)で昨年始まった全身麻酔治療が好評だ。知的障害者の中には、治療への強い抵抗感から一般の歯科医院に通いにくい人が多く、全身麻酔は患者のストレス軽減や治療時間の短縮に効果を挙げている。ただ、受け入れ患者数が限られているため、治療前の医師面談を受けるだけでも8カ月待ちで、診療態勢の早期拡充が望まれている。

同センターの全身麻酔治療は、毎週火、木曜日のみ行われている。午前9時すぎ、自閉症の加藤聡さん(36)=宇治市=が普段着のまま麻酔診療室に入り、自分で診療台に横たわった。「いーち、にー」と数える歯科医の声を聞くうちに眠りに落ち、約1時間で折れた前歯の治療が終了。病院と違い、その日の内に帰宅できた。

知的障害者や自閉症の人の中には、口への異物挿入だけでなく、初めて見る相手や場所に強いストレスを感じる人もいる。府歯科医師会が運営する同診療所には、障害の特性をよく知る歯科医や歯科衛生士が配置され、治療前の通院訓練も含めて同じスタッフが担当する。こうした専門的対応のできる機関としては府内唯一で、丹後・中丹地域からも患者が通っている。

昨年4月以降、延べ164人が全身麻酔を受けた。自傷などを防ぐため患者の手足を抑制する器具を使う場合もあるが、「不必要な抑制は減り、治療の選択肢が増えた」と水野和子・同センター長(46)は話す。偏食傾向から虫歯が進行している患者も多く、「少しずつ治療をしていては完治より再発する方が早い。全身麻酔できれいな歯に戻すと、歯磨きを介助する家族のモチベーションもあがる」という。

希望者が多いだけに、今から申し込んだ場合、治療前にまず必要な医師面談が12月ごろになるという。全身麻酔のできる障害者専門の施設は全国で増えているが、兵庫県には複数あるものの滋賀県には一つもなく、ばらつきがある。府歯科医師会の田中寛彰常務理事(60)は「京都でも受け入れ態勢は十分でない。北部に同様の施設がないことも合わせて、今後の課題だ」としている。


投稿者: 藤村医院

2011.04.19更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110418-00000000-cbn-soci

【第148回】山崎一男さん、竹下晴久さん(歯科医師・東京都歯科医師会)

未曽有の被害と犠牲をもたらした東日本大震災。沿岸部では多くの人が大津波に巻き込まれ、震災の発生当初から身元の分からない遺体が多数収容された。こうした事態を受けて日本歯科医師会は、早い段階で検視への協力に名乗りを上げ、全国の歯科医師会に対し、現地で検視に当たることのできる会員の出動を要請。4月15日現在で、延べ1488人の歯科医師が、身元確認作業のため被災地に入った。

現場での歯科医師の活動と果たす役割はどのようなものだったのか―。活動を終えた東京都歯科医師会の山崎一男歯科医師と竹下晴久歯科医師に話をうかがった。(田上優子)

―派遣が決まった経緯と、現地での活動を教えてください。

山崎:今回の身元確認の仕事は、自ら志願して行きました。厳密にいうと、手を挙げた人の中から選ばれました。

竹下:派遣が決まるのは急でしたね。つまり、きょう要請が来て、あす行けということなのです。しかし皆、それぞれが自分の仕事をしながら被災地応援に行くのです。あす急に休診するということで、患者さんたちには少なからず迷惑を掛けるので、そういう状況の中でも行ける歯科医師が行ったということです。

山崎:わたしは20日の朝に連絡が来て、22日から宮城に入りました。東京都歯科医師会からは同じ時期に4人出ていて、このほかに愛知と長野と山梨、それから日本歯科大学から4人ずつ出して、計20人が5チームを編成しました。
 
わたしが行ったのは、石巻市の安置所です。そこは青果市場だった場所でした。昨年まで実際に使われていて、新しい施設ができて空いていたので、そこを使うことになったのです。サッカーグラウンドくらいの広さで建屋はそっくり残っていて、本来は中はがらんどうなのですが、そこにご遺体が並べられているわけです。今回亡くなった人は、津波に飲み込まれたことによる水死が多かった。だから体としては、打ち傷などはありますが、そんなにひどい外傷はありませんでした。
 
現地では、仙台市内に宿泊していました。市内を午前8時ごろに出発して、約1時間で石巻に到着します。そこから検視の開始です。昼まで続けて、1時間休憩し、夕方4時半ごろまで検視です。検視作業は、1日おおむね6時間くらいでしたね。日によってばらつきがありましたが、6日間で20人が450体のご遺体を確認しました。

わたしは東京でも検視に協力をしています。葛飾区歯科医師会に所属していて、10年以上前から、区内の検視事案にはかかわっています。だから経験としてはあったのですが、あれだけのご遺体を診たのは初めてです。もちろん、検視の作業自体はお一人お一人ずつですが、とにかくものすごい数のご遺体が、建屋の中に並んでいる。でも一歩外に出れば、空が晴れていて、普通の生活をするわたしたちがいるのです。昼には外に出て昼食をきちんと食べるわけです。食べられないなんて言っていられない。そこには、全く異なる2つの世界があるわけです。だから、建屋の中に入るときは、ここは違う世界なんだと自分に言い聞かせないと、ちょっとそこには入り込めなかったですね。とにかく検視に没頭する。そこに安易な感情など差し挟むものではないと思っていました。

竹下:わたしは岩手県盛岡市を拠点にして、釜石市と大槌町に設けられた4か所の安置所を回りました。わたしたちが行ったころはご遺体の数も少なくなっていて(3月28日-4月2日に派遣)、東京都歯科医師会から4人で行ったのですが、そのうち2人は宮古市と山田町に分かれて2、3か所の安置所を回りました。
盛岡から釜石まで約150キロの距離があって、道路事情などもあって行くだけで3時間くらいかかりました。だから、午前中いっぱいかけて移動して、11 時を回って現地に到着していました。午前中に1か所の検視をして、警察車両で移動しながら昼食を取り、次の所に行くという感じでした。
 
検視については、歯科医師がデンタルチャートを取るご遺体というのが、そもそも着衣や顔から十分に確認できないケースがほとんどです。特に初めのころは、海から引き上げられたご遺体が多く、ご家族が見ても分からない。きのうまで一緒に生活をしていた家族でも分からないのです。後半は、がれきの撤去の過程で見つかった方が多かった。この時期、まだ現地では、山沿いや峠には雪が残っているくらい寒かったので、ご遺体の状態も比較的よく保たれていたのですが、火災やがれきの中にいて撤去作業に巻き込まれたご遺体の中には、検視が難しいケースもありました。

―今回の震災では、大津波で死亡した遺体の収容が千人規模で進んだため、身元が判明しないまま土葬したり、火葬したりせざるを得ない状況になっています。日本歯科医師会の大久保満男会長は3月14日の記者会見で、歯科医師の派遣を行うに当たって、「故人にとって、荼毘に付される前に身元が特定されることが、人として最後のアイデンティティーであり、その特定が歯科医としての責務だ」と述べました。

竹下:われわれはまさにその使命感で行っていました。だから、どんな状況であってもやるしかないし、拒否をする次元の話ではないと考えていました。
わたしは、都内では通常の歯科診療しか経験がなく、警察の検視にも参加したことがありません。つまり普段は、生きている患者にしか接したことがありませんでした。そういう意味では今回、全く初めての経験をしたわけです。
 
この経験が自分にとってどんな意味を持つか―。それを考えるのはとても難しいですね。ただ普段の診療に照らして考えると、わたしは初診の患者の歯式は取るのですが、そこまで細かくは取らない。いわゆるデンタルチャートのような歯式までは取らないということです。今回の経験を踏まえて、初診時に詳細な歯式があれば万一の事態には役立つだろうと考えます。
また、口腔内の写真は役立ちました。実際、行方不明になっている家族を探している人が、かかりつけの歯科診療所からレントゲン写真と口腔内写真を借りてきて、それと照合することで、直ちに身元確認につながったケースがありました。ただ、写真についてはコストが掛かる割には診療報酬の面でも非常に評価が低いので、厚生労働省には有事に備えるためにも、写真などの記録に対してそれなりの評価をしていただきたいですね。

―検視活動を終えて、今思うことは。

山崎:わたしとしては、何か特別なことをしてきたとか、これを機に何かを変えようということは考えませんね。当然やるべきことをやってきた。それだけです。
そういう意味では、被災地に入っているすべての人と変わりません。自衛隊員や警察官や、救援物資を運んでいる人たちがいる中で、わたしたちは自分たちのすべきことをした。

確かに歯科医師は、普段の診療で死に直面することはまずありません。ただ、今回の経験については歯科医師だけでなく、医師にとっても意味が異なります。つまり医師にとっても、病院で直面する患者の死とは全く違う。想定していないことなのです。しかし、だからといって対応できないということでは駄目なのです。
歯科医師としては、診る人が生きていても死亡していても、口の中を診るというところでは変わらない。そこに差をつけてはいけないと思います。

―大規模災害時に歯科医師のあるべき姿とはどういうものでしょうか。
 
山崎:その答えは歯科医師になるための教育の中にはないのかもしれません。強いて言うなら、「意識」ですね。いざとなったら、何でもやれるという意識です。ただ、やれますよと口で言っているだけでは駄目です。それは教育をしたとしても、受け止める側に懸かっているので、意識がどれだけ高められるかは、その人の「覚悟」に懸かっていると思います。
診療所を一時休診にする。その分、報酬は減る。それでも、こういう事態の時には、自分のことよりももっとやるべき大事なことがあるだろうと。そうした時には真っ先に手を挙げたいと思っています。それぞれ自分がやれることを考え、やる覚悟を持てるかです。

竹下:わたしも同感ですね。要は、やるべきことの優先順位付けです。わたしにとっては、検視に行くことのプライオリティーが高かったということです。だからといって、「おれは行ったのだから、次はあなたが行くべきだ」とは言わない。今はひとまず体を休めて疲れを取ろうと思いますが、また要請があればわたしは行きます。

ただ、気になっていることがあります。わたしたち派遣組は、1週間程度で帰って来ることができます。でも被災地の歯科医師の先生たちは、これからも延々と続くわけです。現地では、地元の若い警察官が1週間ずっと同行してくれて、車を運転したり、検視の際に口の中をライトで照らしたりしてくれたのですが、彼らは今でも休まず働いています。そうした若い人たちの心のケアも、先々考えていかないといけないと思いますね。

投稿者: 藤村医院

2011.04.16更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110415-00000673-yom-soci
 

犠牲者が1万3000人を超えた東日本大震災では、遺体の身元の特定に協力するため、地元や全国各地から延べ約1500人の歯科医師が作業に参加している。

経営する歯科医院が被災した人もいるほか、中には慣れない作業が精神的な負担となり、体調を崩す人もいる。歯科医たちは「すべての遺体を家族の元に返したい」と、黙々と身元確認を続けている。

「口の中を見せていただきます」。宮城県石巻市の歯科医、三宅宏之さん(39)は、遺体の口を確認する前、いつも心の中でこうつぶやきながら手を合わせる。

三宅さんは、震災発生4日目の先月14日から、同市の遺体安置所となっている旧石巻青果花き地方卸売市場で作業に従事しており、これまでに約800体の遺体を扱った。作業は歯科医3人1組で、運び込まれた遺体の歯並びや治療痕などを記録する。その記録は、遺体発見時の状況や所持品、身体的特徴などと共にファイルにまとめられ、行方不明者を捜す家族が訪れた際の身元確認の資料として使われる。

場内は、電気が復旧しておらず、昼でも薄暗いまま。震災ひと月を過ぎても犠牲者の搬入は続く。4月中旬現在も数百の遺体が安置されており、肉親を捜す家族が頻繁に訪れる。

家族が遺体に対面する時は作業を中断する。幼い娘の遺体を確認した母親が、冷たくなった体を温めるように半日抱きしめ続ける姿を目の当たりにしたこともあった。三宅さんにも5歳、8歳、10歳の3人の娘がおり、母親の悲しみが痛いほど伝わってきた。

投稿者: 藤村医院

2011.04.12更新

東日本大震災では、身元特定のための歯型を記録する歯科医が足りないため、歯科医師免許を持つ大学院生らが現地入りし、検視業務に協力している。約70体の検視を行ったのは、東北大学大学院歯学研究科の新谷聡さん(35)だ。

「自分が記録することで、一人でもご家族の元に帰れればいい。今やらなくていつやるんだと思った」

研修だけで実際の検視経験はなかったが、大学が呼び掛けた募集に応じ、院生や教員ら約70人が派遣された。

宮城県南三陸町を訪れたのは地震4日後の先月15日。初めて約10人の検視を行った。遺体の脇に四つんばいになり、器具で口を開け、小型の鏡を使って歯並びや治療痕などをデンタルチャートと呼ばれる用紙に記録していく。終わった時には5時間が経過していた。

「とにかく必死で、何も考える余裕はなかった」という。

同県利府町では、1日で約60体を検視した。津波で流されたため損傷の激しい遺体が多く、乳児を抱いたままの女性もいた。「小さな子供の遺体が並んでいるのを目にした途端、涙が止まらなくなった。津波に人がのまれる夢をよく見るようになった」とうつむいた。

19歳の時、阪神大震災で神戸市内の母親の実家が被災。浪人生で何もできない自分に無力さを感じた。「やっと苦しんでいる人の役に立てると思った」。今後も避難者の往診や介護に携わりたいと考えているという。

全員が現役歯科医師という4人組覆面ボーカルグループ、GReeeeNのリーダーで福島県郡山市在住のHIDE(31)も検視に携わると報じられているが、依然、家族の安否が不明な被災者にとっては、今後、身元を特定するためにも貴重な情報となる。


投稿者: 藤村医院

2011.04.07更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110407-00000112-san-soci

東日本大震災の被災地では断水や歯ブラシ類の不足で歯磨きができず、口内環境が悪化しがちだ。口臭や虫歯だけでなく、口の中で繁殖した細菌が誤って肺に入って起こる「誤嚥性(ごえんせい)肺炎」やインフルエンザに感染する恐れもある。物資の少ない環境でできる「口腔(こうこう)ケア」を紹介する。(古川有希、織田淳嗣) 

肺炎の恐れも

被災地を巡回した歯科医によると、避難所で暮らす被災者からは「歯ぐきが腫れた」「義歯をなくした」といった相談から、「歯ぎしりがひどいのでマウスピースを作ってほしい」といった集団生活ならではの悩みも寄せられたという。

松島海岸診療所(宮城県松島町)の嘱託歯科医師、井上博之さん(64)は震災発生から12日目、東松島市の小野地区で要介護者らを診察。入れ歯の利用者の多くは震災以降、入れ歯をつけっぱなし。利用者からは「洗浄剤はないですか」と切実な訴えがあったという。診察前には既に肺炎で入院した人もおり、誤嚥性肺炎の可能性があるという。

高橋歯科医院(東京都品川区)の高橋美貴医師(32)は「とにかく口内の食べかすや歯垢(しこう)を取り除いてほしい」と呼びかける。歯ブラシがなくても「ティッシュペーパーや綿棒、スポンジなどで歯のぬめりや、(雑菌の多い)舌を掃除することができる」。歯磨き粉はうがいですすぐ前提の商品がほとんどなので、水がない場合は使わない方がいいという。

ブラシだけでも

井上医師によると、被災地には徐々に歯ブラシは届きつつある。「日頃、歯磨き粉を使っている人は慣れないかもしれないが、歯ブラシだけでも口の中を清掃するには十分。すみずみまでよく洗って」と呼びかける。

非常時用のグッズも販売されている。口腔ケア商品のハニックス(千代田区)では、歯の汚れを拭き取るウエットペーパー「クールウェイブ ペーパー歯磨き クールミント5包」(315円)を被災地に3万個送った。表面がでこぼこのメッシュ構造で、清涼剤が配合されている。

新百合山手アクザワ歯科医院(川崎市麻生区)の阿久澤信人院長(45)は「ペーパー類は入れ歯の洗浄にも有効」と話す。ペーパーの先を細かくこよりのようにし、入れ歯のかみ合わせ部分を磨く。指に巻き付ければ歯ぐきも磨きやすく、他人が要介護者の口に手を入れて使うのにも便利だ。

現地では野菜や果物が不足しており、阿久澤院長は「支援の食事はパンやご飯など歯の間に詰まりやすい」と指摘。歯ぐきの腫れなど悪化を食い止めるために洗口液の支援も望ましいとしている。

日本口腔ケア学会(名古屋市千種区)では、自分でうがいができない要介護者向けの口腔ケアの注意点をホームページ上(
http://www.oralcare-jp.org/ )で公開している。

意識と知識が必要に

阪神大震災や新潟県中越沖地震などで被災者の口腔ケアに取り組んできた、神戸常盤大短期大学部口腔保健学科の足立了平教授(57)は「今回の震災では歯科医療関係者の機運は高まっているが、一般の人に口腔ケアの知識や意識がない」と指摘する。被災地で歯ブラシを配っても「歯ブラシどころじゃない」と使ってもらえないケースが起きているという。

阪神大震災の震災関連死922人のうち、223人が肺炎で死亡したという。足立教授は「恐らく、多くは誤嚥性肺炎。口腔ケアをすることで半数の人は助かったのではないか」と分析。「虫歯予防というだけでなく、命を助けるためのケア」と位置付け、啓発を行っている。


投稿者: 藤村医院

2011.04.04更新

メンバーの全員が歯科医師である、GReeeeNのHIDEが東北地方太平洋沖地震犠牲者の身元特定作業に参加することを自身のブログ で明かした

GReeeeN HIDEは3日付け日記で、「私も歯科医師として、検死に参加させて頂く事となりました。一日も早く、ご遺族にお会い出来るようにお手伝いさせて頂く所存でございます」と身元特定の作業に従事することを明らかにしている

現地では津波によって犠牲となった身元不明の遺体も多く、歯形による身元の特定が進められる。HIDEもこのような身元特定作業に従事することになったようだ
また、歯科医師として避難所での歯科治療も行う。「避難所での歯科治療もお手伝いさせて頂く事になっておりますので、そちらも、頑張ります!」と決意を述べている

ソフトバンク孫社長の個人義援金100億円も驚きましたが、同じ歯科医師として自らボランティアに志願したHIDEさんの決意にも頭が下がります

太宰府市 藤村医院歯科・耳鼻科

藤村哲之


投稿者: 藤村医院

2011.04.02更新

大阪府歯科医師会(岡邦恭会長)は30日、会員らから募った東日本大震災の被災者への義援金約1325万円を毎日新聞大阪社会事業団を通じて被災地に送るため、毎日新聞大阪本社(大阪市北区)を訪れた。

義援金を手渡した太田謙司副会長(60)=写真左=は「口腔(こうくう)ケアは災害生活では非常に難しい。少しでも被災者の方の役に立てば」と思いを話した。【矢島弓枝】

投稿者: 藤村医院

side_inq.png