歯科NEWS

2011.05.28更新

母国での弾圧などから日本に逃れ、難民認定を申請中の外国人を対象に、無料で歯科診療するプロジェクトが鶴見大学(横浜市鶴見区)でスタートして、1年余がたった。日本政府から十分な支援が受けられず、歯痛を放置する難民申請者は多く、医療系大学による全国初の取り組みとして好評だ。28日には同大学で、活動状況を報告するシンポジウムが開かれる。

「具合はどうですか」。歯学部付属病院の診察室で、准教授の永坂哲さん(60)が受診3回目というアフリカ出身の男性に問い掛けた。「痛みもなく、とてもうれしい。生活は大変でも、多くの人の優しさを感じます」。永坂さんと握手を交わし、にっこりとほほ笑んだ。

難民申請者の生活は厳しい。多くは就労が認められず、生活保護を受けられない。国民健康保険にも加入できず、無保険の状態だ。政府の公的支援は支給対象者が限られる。医師や医療機関、支援団体の善意が頼みの綱だ。

プロジェクトは昨年2月、国連難民高等弁務官事務所などと連携し始まった。NPO法人なんみんフォーラムが窓口となり、同大学で週3日、スタッフ27人が検診や治療に携わる。治療費は大学側が全額負担。永坂さんは統括の立場だ。

きっかけは2年前、国連関係者から難民申請者の窮状を聞き「日本にも難民がいることを初めて知った」。かつては大手邦銀のニューヨーク支店で国際金融の第一線に立っていたが、「直接人の役に立ちたい」と30歳で退職、歯科医に転身した経歴を持つ。大学や関係機関に働き掛けてプロジェクト実現にこぎ着けた。

今年3月末までの利用者は延べ208人を数え、出身国は18カ国に上る。「サンキュー」「メルシー」「ありがとう」。さまざまな言語で感謝される。「働くことは許されなくても、ボランティアなら問題ない。病院掃除で恩返しをしたい」と訴える難民申請者の姿に「支援している私たちが、逆に励まされている」と感じる。

一方、「交通費が払えなかったり、移動許可が出なかったりして、来院できない人も少なくない」。今春から学生食堂で毎月最終週、料金の一部をそうした人たちの交通費に充てる特別メニューの提供を始めた。15日には埼玉県内にあるトルコ出身のクルド人コミュニティーを訪れ、初の出張検診も行った。

「国籍や出自に関係なく、最低限の生活が送れるように応援するのは、人間として当然のこと。医療人の精神にも通じる」と永坂さん。「国内でも国際貢献はできる。学生や他の医療機関にも活動の輪を広げていきたい」と話している。

シンポジウムの問い合わせは、同大学国際交流センター電話045(580)8377、メールアドレスはmaeda-r@tsurumi-u.ac.jp


投稿者: 藤村医院

2011.05.18更新

6月4日からの「歯の衛生週間」を前に、西宮市内の歯科医が「鹿せんべい」ならぬ「SHIKAせんべい」をつくった。歯磨きの大切さを訴えるメッセージを刻み込み、自作自演の曲入りCDとともに、通院患者らに無料配布している。

同市甲子園口の歯科医院「Takt Dental Clinic」の西村律男院長(58)。昨年、歯並びと社会のつながりを歌った「のぞいてごらん お口の中を」など自作の6曲を収録したアルバムを制作。岡山県や滋賀県の小中学校、保健所からも注文が舞い込んだ。

予想外の反響を受けて今回、「“しか”にちなんだもので健康ソングよりインパクトがあるものを」と思い、医院のスタッフらに相談。しゃれの利いた「SHIKAせんべい」がひらめき、神戸の和菓子店の協力で完成させた。

せんべいは3枚入りで、1日は歯をみがくことから始まり歯をみがくことで終わる▽歯をみがく元気はその日のゆうきを与える▽一本の歯をのこすことから人生のゆとりを-とそれぞれに書いた。

問い合わせは、同クリニック((電)0798・67・1397)。

投稿者: 藤村医院

2011.05.14更新

東日本大震災の被災地で遭難遺体の身元確認の決め手となる歯科的データ作成のため、岩手県に派遣されていた香川県歯科医師会の歯科医4人が活動を終え、11日に香川に戻った。作成したデータが遺体の特定につながるケースもあり、歯科医らは「貢献でき、参加してよかった」と振り返った。

4人は、開業医の山下喜世弘さんと樋出誠さん、香川大医学部口腔(こうくう)外科の歯科医、大林由美子さんと南佑子さん。いずれも志願で活動に参加した。

現地では2班に分かれ、それぞれ法歯学の専門家を加えた3人のチームで宮古市、釜石市、大船渡市、陸前高田市の各遺体安置所で8~10日の3日間にわたって計23遺体の歯科的データづくりに取り組んだ。

作業では遺体の口の中を洗浄し、写真撮影、歯の治療痕や義歯の特徴、舌や歯茎の状態を記録し、必要に応じてレントゲン写真も撮影するなどしてデータ化していった。

樋出さんと南さんのチームは、盛岡市内に宿泊し毎日片道約2時間半かけて遺体安置所に通った。大船渡市で8日に作成したデータの一部は翌9日、生前の歯科データと合致し、遺体の身元の特定につながったという。

一方で、樋出さんらは被災現場の惨状を「まるで別世界」と振り返り、活動を通じて「予想される大災害への対応に向け、組織づくりや人材の育成、広域での情報共有の必要を感じた」と話した。


投稿者: 藤村医院

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